05年京都御所
安政造営150年記念として京都御所の全てを一般公開すると聞き出かけました。車で行くので、琵琶湖北岸や丹波の美山などにも足をのばしました。
 <御所 紫宸殿>  2号
それほど混み合っているわけでもないのに、立ち止まって写真を撮らないで下さいという理不尽なアナウンスを無視して線描だけを済ます。百官百僚が居並んだであろう前庭は意外に狭い。中の建物には等身大の人形が配置されていて当時の様子を窺えて興味深い。しかし、これだけ広いところが無人というのも芸がない。実際に人を住まわせる手がないものか。
.・
                                     <竹生島>  2号
米原から北上し木之本、賎ケ岳を巡って琵琶湖の北側を半周した。驚いたことに食堂らしきものが殆どなく、休業中の茶店で手持ちの菓子パンなどを食べながら竹生島を描く。
<大原風景>  2号
朽木から鯖街道を走って京都に入った。大原は思っていた以上に鄙びたところで、あちこちに京野菜の畑がある。画面中小さな青いもんぺ姿が大原女(メというよりバに近いが)。昔の大原を知っている同乗者(これもバ)は、これでも人家が随分増えていると云う。
                <渡月橋の朝>  2号
宿が渡月橋のすぐ近くであったので早朝散歩する。すると橋の上を車が通るではないか。さっそく私も通ってみた。対岸は料理屋、旅館、土産物屋でひしめいていた。そのまま行くと桂離宮の脇に出た。昔、角倉了以という偉い人がいて、この辺りの治水工事に私財を投じたという。今眺める嵯峨野の景色は彼の遺産である。街の人たちも朝早くに掃除をこまめにやっていた。
             <落柿舎あたり>  2号
落柿舎あたりまで散歩した。野菜畑に陽が差し込んでくる時間帯に、もうデイバッグを担いだ人が歩き回っている。この後竹藪のなかを通り亀山公園に出て、角倉了以の銅像に挨拶し、渡月橋に戻る。嵯峨野は環境がよく保たれていて気分がよい。住民も維持管理に精を出していることがあちこちに覗える。屑篭一つとってもしゃれている。
<東寺の塔>  2号
京都を歩いていて何か物足りないと感じていたが、塔が少ないことに気がついた。奈良の風景と比較してしまうとそうなる。しかし、この塔はよい。他に塔が少ないせいか際立ってよく見える。
<神護寺>  2号
美山に向かう途中、神護寺に立ち寄った。山門への石段の趣きがよい。この寺の再興に尽力したのが文覚上人だったと記憶している。頼朝が伊豆にいる時に、立ち上がれと督促にきたという説がある。文覚上人が足音荒く上り下りしたかと思うと一層の趣きが出てくる。
<丹波 美山の里>  2号
京都市内からはかなり遠い。茅葺集落はここ以外にも散在しているが、ここはかなりの規模で残っている。白川郷ほど観光地化していない分素朴さがある。物産店も村営で鄙びたお土産が並んでいる
<糺の森と瀬見の小川 >  2号
京都の最後は、糺の森に行った。かの有名な瀬見の小川を渡ると河合神社がある。鴨長明ゆかりの社で、庭に方丈庵の実物大の模型があって興味深い。つい見とれて時間を過ごし、下鴨神社に行きそこなった。代わりに三条の老舗蕎麦屋で鰊そばを食して打ち上げた。