2011年 5月の北信/南信 |
北信は湯治を兼ねて野沢に泊り、飯山市を中心に菜の花と千曲川。南信は大鹿村、かみ村の山里から山岳風景を眺めてきました。 |
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<菜の花公園から千曲川> 4号 |
正面の斑尾山の麓に小学唱歌の作詞者高野辰之生家がある。朧月夜、故郷、もみじ等の数々の名歌を生んだ博士の原風景を追体験したい思いがあった。この辺りの千曲川には護岸工事が一切なくゆったりと流れ、こちらも穏やかな気分になり、菜の花畠に入り日うすれの頃まで居たい気分。飯山市は偉い。 |
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<野尻湖と妙高山> 2号 |
高野辰之の生家周辺を探ってみた。「兎追いしかの山」とはどの辺りかと車を走らせるうちに、ナウマンゾウの野尻湖に着いた。ウサギと象では大違いである。車社会の博士ならばどのように詠ったであろうか。 |
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<阿弥陀堂からの眺め> 2号 |
飯山市の菜の花公園の山側に北信五岳と千曲川を眺めながら歩くルートが整備されている。そのうちの一つ、阿弥陀堂だよりロケ地巡りを少し歩く。 |
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<阿弥陀堂> 2号 |
こちらが阿弥陀堂の正面。これが映画「阿弥陀堂だより」のオープンセットだとは驚いた。今や飯山観光の主役みたいな存在である。実際のところ現地の風景にすっかり溶けこんでおり、築200年と言われても通用する。 |
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<飯山 正受庵入り口> 2号 |
雨の飯山市内を歩く。最初に橋まゆみ人形館、ここで昭和初期の風景を堪能する。正受庵とは戦国期の名僧正受老人の結んだ庵で白隠禅師もここで修行した。飯山市は寺も多いが仏具店も多く、それだけで町の通りをなしており独特の雰囲気がある。 |
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<小渋湖から空木岳方面> 2号 |
南信の大鹿村へ向かう途中の小渋湖。ピクニックランチをとりながら湖を描いているうちにガスが晴れ、中央アルプスが見えてきた。 |
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<大鹿村 大河原集落> 4号 |
上がったと思った雨がまた降りだした。案内所の軒先を借りて記念の一枚を描く。この辺りは山間部なので、どこの集落も斜面にへばり付いている。春・秋開催される大鹿歌舞伎の演者もこうした処に住む村人である。 |
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<赤石荘露天風呂にて> 2号 |
朝の露天風呂からの風景。左手前に僅かに見えるのが小渋川。このあとガスがとれ、山の右手に空木岳が頭をのぞかせた。 |
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<赤石岳> 2号 |
部屋に戻ると雲がとれて赤石岳が「こんにちは」。早速宿を出発し上村へ。地元では「かみの村」と自称する別天地、古くは遠山郷と呼んでいたところ。 |
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<下栗の里から聖岳> 4号 |
落石注意の標識だらけの山道をくねくねと走って一時間、たどり着いた「しらびそ峠」の眼前は一面の雲。しばらく待ったが次から次と雲が湧き上がる。名物の二度芋田楽を食って引き上げる。半時間ほど下ったころ聖岳が見えてきた。喜んだ同行者は、天空の里ともいう下栗の里を油絵で描き始めた。 |
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<早朝の赤石岳> 4号 |
福徳寺の斜面を少し登って描き始めたのが5時半。手前の小さなお堂が福徳寺の本堂で長野県最古の木造建築という。描いていて体の芯から冷えてきた。気温7度、宿に戻って湯に飛び込む。温泉宿はこういう時に具合がよい。 |
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<大河原パノラマ台からの展望> 2号 |
うんざりする程くねくねした山道を辿ってパノラマ台に着いた。しかし苦労した甲斐があった。眼前に荒川岳と赤石岳が圧倒的な存在感で迫る。。 |
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<中央アルプスの展望> 2号 |
パノラマ台というだけあって目を西に転じると中央アルプスの全貌が開ける。横だけでなく、伊那谷との標高差2500米にも達する縦のスケールも圧巻。 |
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