2012年 越前・若狭めぐり
京都を拠点に越前と若狭を一巡りしました。 特に三方五湖は、見るなら今のうちという思いがありました。
それと幻のイワシの油漬け(オイルサーディンではない)を探す目的もありましたが、 これはダメでした。代わりに飛び切りうまい鰻に出会えました。
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                               <三方五湖>      4号
梅丈岳から穏やかで和やかな景色が一望できた。しかしこの辺りは原発だらけ。どこかに異変があればいったいどうなるのか? 一切がゴーストタウン化する。それを考えると原発のおぞましさに凍える思いがする。
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                                     <菅湖の集落>    2号
宿は、水月湖の虹岳島という半島にあった。朝暗いうちから湖畔を散策する。ところが倒木アチコチ、岩ゴロゴロ。ジョギングどころか歩行もままならない。原発資金はどこに消えたと文句を言いながら歩く。行き止まりに小さな集落がみえたので一枚描いて引き上げる。
           <永平寺の門前>  2号
40年以上前に一人旅で訪れたことがある。雪の吹き込む廊下を、裸足の修行僧が雑巾がけしていた
光景が忘れられない。今は、寺の内も外も随分賑やかになった印象。
                <越前朝倉氏遺跡>    2号
小雨が降ったり、陽が差したりとこの地方らしい空模様であったが、一乗谷に着いたときには雷雨となってしまった。傘を差しながら遺跡前に佇む。これはこれで悪くない。塀の内側に復元した住居が立ち並んでいて、一部は工房などに利用されていた。
           <遠敷の里 明通寺門前の集落>    2号
小浜に遠敷の里(おにゅうの里)という奈良朝時代から栄えた地域がある。明通寺は大同元年(806年)創建という若狭随一の名刹。寺は山裾にあってここからは見えない。往時は大きな門前町をなしていたらしいが、今はひっそりとした山里。しかし、何となくいい雰囲気が漂うところ。
             <若狭路 熊川宿>    2号
宿は、鯖が運ばれていた頃は大層栄えたそうで、規模はかなり大きく、べんがら塗りが往時を偲ばせる。。実は旅の前に聞いていたので資料館に立ち寄ってみた。聞けばこの絵の左中央あたりが私のテニス仲間のご先祖さまの住居跡とのこと。立ったまま走り描きする。
<鞍馬寺義経堂辺り>  2号
京都に戻り、鞍馬寺から貴船神社まで山道を歩いてみた。義経堂の辺りは僅かに平場となっていて、牛若丸が武芸に励んだとされる場所。まことに天狗でも出てきそうなところ。
<木の根みち>  2号
鞍馬の山道といえば木の根道が有名。が、しかしと思う。この程度のものは鎌倉大仏ハイキングコースにもざらにある。と思うのは身びいきか。
<彦根城>  2号
初日に彦根見物した。ここは鎌倉と同じく世界遺産を狙っているとのこと。お城のスケール感は想像以上だし、何より街づくりがよく出来ている。京橋に向かう江戸の町並みを再現したした一帯は見事である。
鎌倉は彦根に負けると思うね、多分。