2013年 福島のいま
先日、そろそろ落ち着いたかなと思い福島県の浜通りを走ってきました。ところがとんだ大違い、殆ど災害時のままの状態です。線量が高すぎて人が入れないのかも知れませんが余りの酷さに声も出ません。田んぼや畑に人影もなく、僅かに除染作業中が見られますがこれも道路の一部だけで、全体から見れば児戯に等しい感じで、あれは失業対策でしょう。しかも廃棄物は袋に入れて積んであるだけ。どこに持って行くつもりか先行き真っ暗です。私にできることは、なるべく福島に行く、福島のものを買う、そして気持ちに寄り添うことしかなそうです。残念ながら。




                               <塩屋埼 空漠>      2号
いわきから海沿いを走る。塩屋埼の近くのコンビニでスケッチ場所を尋ねたら「ここからも見えるようになってしまったんだよね」と店員が一言。回りを見ると草に覆われている住居の基礎だけが漠々と広がっていた。そばに大谷石の蔵らしきものが取り残されていた。屋根にはブルーシート。
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                                     <JR富岡駅 無残>    2号
6号線を北上し、広野、楢葉、富岡を通り、まもなく大熊町という辺りで、余り進むと迂回が難しくなると思い海側に右折したら富岡駅前に出た。先月災害に合いましたと言われても納得出来るくらい当時のままの状態。横転して積み上げられた数多の車、折れ曲がり引きちぎられた架線、唖然とする。
                <飯舘村 無念>  2号
あちこちの通行止めを回避しながら軍鶏で名高い川俣を過ぎ飯館村の北部を横断する。今の時期見事な水田が広がるであろう場所にも人影はない。遠くに除染らしい重機がのろのろと動いていた。
           <飯館村 無住>  4号
更に峠越えで村の中に入る。途中傾いた看板に「美しい村を子供たちに」とあった。涙が出てくる。
屋敷への道は草がはびこり荒れ果てた田畑は見るかげもない。
看板を立てた人、見た人はどんな思いでこの風景をみるのか。
                <松川浦 寂寥>    4号
二日目は松川浦に宿をとった。ここは小松島と呼ばれ多くの文人墨客が訪れた景勝地。この辺り昔は船着場だったのかもしれない。遠くの枯れ木の並んでいるところは松川浦を取り囲む帯状の松並木だったらしい。今は立ち入り禁止。朝のジョギングが楽しめたのに残念。
               <新地海岸 白日夢>    2号
6号線を北上していたら新地駅方面の看板があった。3・11のおり、たまたま乗り合わせた警察官の機転で多数の乗客が救われた記事を思い出して車を向けた。駅は跡形もない。駅から数十メートルで海岸になるが崩落していて海には出られない。気だるそうに打ち寄せる波が却って不気味。
             <飯坂温泉 鯖湖湯>    2号
最後は福島駅から新幹線で帰途につく。その前に除染して帰ろうと思い飯坂温泉に立ち寄った。温泉発祥地の碑の前にある古いだけが取り柄の旅館で湯に浸かる。隣には立派な共同湯があった。巨大な桶は湯のタンクらしい。
ここからは、月例スケッチ会です。
<逗子マリーナ>  4号
ごく近場なのに久しぶりに訪れた。この建物はかの文豪終焉の場所のはず。こんなことを言う人も少なくなっていると思う。私も歳を食ったものだ。