利根川紀行 その1

坂東太郎は名負うての大河です。
そこで、今回は源流部から群馬県前橋までを辿り、その1としました。
この辺りは私の生まれ故郷でもあるので、あちこち思い出があり、やや感傷的な旅となりました。
                               <奥利根湖>      4号
湖は、八木沢ダムに堰き止められて正面のカワゴ山の両脇を角のように奥まで入り込んでいる。利根川の本流は、右側の角の先を上越国境まで溯り、大水上山(1831m)の南面に達する。ここが水源となるが、一般道は奥利根湖で途切れている。これから先は探検家の領域なので、一般的には利根川の水源はこの湖となる。
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                            < 谷川岳一ノ倉沢 出合 >    4号
利根川は水上で湯檜曽川と合流する。源流部の大きな支流であるこの川を遡ると一ノ倉沢出合で行き止まりとなる。遭難者数世界一(805名)の魔の山谷川岳の最難関ルートが右側の岸壁、衝立岩である。大昔アルピニスト岸壁に登るという映画を見たことがある(原題は真昼の星)。名クライマー ガストン・レヴュファーがアルプスの針峰群に登り、頂上で手を翳して真昼の星を眺めるという何ともロマンティックな映画で、一遍にアルプスファンになった覚えがある。
              < 谷川岳 マチガ沢出合 >  2号
ここには悲しい思い出がある。私の幼友達がこの沢の岩場で帰らぬ人となった。彼はこの近くのダム現場に従事していて、休みになると谷川岳の岩場に登っていた。天候の急変か、谷川特有の脆い岩場でバランスを崩したか、岩壁から転落して若い命を絶った。彼に頼まれてオーディオセットを作ってやったことがある。独身寮での楽しみに、いい音で音楽を聴きたいという話であったが、十分楽しむヒマがあったかどうか。
           < 利根川 諏訪峡 >   2号
水上町の道の駅は諏訪峡にある。この近くの諏訪大橋から日本唯一のバンジージャンプが楽しめる。楽しむなどと気楽に言えないくらい恐ろしいものらしく、道の駅の人の話では、金をもらってもやりたくないとのこと。地元の人がそんなことを言ってどうすると思うが、高さ40mというから半端じゃない。他にもラフティングとか、ウォータースライドとか利根川を利用した遊びが揃っている。
               < 吾妻川合流付近 >    2号
絵の左側から吾妻川が合流する。この上流に何かともめた八ッ場ダムがある。この絵を描いた場所は分郷八崎といい、私の両親の実家があった場所に近い。利根川に突き出たようなちょっと孤立感のある地域で、そのせいか平家の落人集落などという言い伝えがある。
< 前橋城址から利根川 >   2号
群馬県庁から川べりに降りる。向うの先には榛名山が横たわっているはずだが今はガスの中。手前の石組みは城址の一部かも知れないが定かでない。暴れ川で何度も石組みを崩されて一時期廃城となった前橋城は古くは厩橋城といい、城主の大老酒井雅楽頭は厩橋候と呼ばれた。小説「樅の木は残った」では、原田甲斐の真の敵とされている。
 < 敷島公園決闘の場 >    2号
敷島公園は利根川べりの広い公園で、前橋市民は何かというとこの公園に集まる。私が小学4,5年生のころ、ここで、敷島ターザンと呼ばれていた浮浪者の子供と決闘したことがある。ちょうどこの場所である。当時、私の唯一の収入源であるウサギの飼育に欠かせない草刈鎌を置き忘れて、取りに戻ったらターザンが持っていた。決死の覚悟で立ち向かった。勝負はあっさりとケリがつき、ターザンは鎌を返してくれた。こちらの剣幕におそれをなしたのかも知れないが結構気のいい少年だったのである。

ここからは番外編・
< 苗場から上越国境の山々 >   2号
キャンプ初日の晩は予報になかった大雨で、朝まで豪雨が続いた。さすが利根川水源地域である。お蔭であちこち土砂崩れがあって水源地域に出かけられない。そこでトンネルを抜けて苗場に行き筍山に登るつもりだった。しかし、ここにも災難が待ち受けていた。ケーブルを下りて道を探していたら、レストランからクマがいるからこっちに入ってと声がかかる。見ると確かに数十mほど先の斜面をウロウロしているクマがいる。
さすがに山登りは諦めてレストランから山々を眺めて帰った。ブナの実は豊作らしいので何が不満なのか?
まさか平和維持に不安があるとでもいうのか。
< 湯沢 貝掛温泉 >   2号
苗場の帰りに貝掛温泉に立ち寄った。眼に効く温泉として名高く、明治時代には湯を目薬として販売していたそうな。ちょうど運転免許の更新時期であったが視力に不安があった。女将の勧めで湯を持ち帰り、更新前に何度か目を洗い、ついでに水上土産のブルーベリーを沢山ほお張り、無事合格した。効きますよ!。