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2016年 春の野山  
久しぶりの伊那谷は桜が終わり、リンゴと梨の花が咲き始めていました。
素晴らしい天気が続き、芸のないことですが山ばかり描いてきました。
目の手術後初めての遠足は高尾山のつもりでした。ところが怪しい雨雲を見て東へ東へと逃げ、とうとう日高市の巾着田まで行きました。
何れの旅も、助手席に座りっぱなしの楽ちん旅。お世話になりました。
                              < 春日城址から千丈岳 >    4号
初日は、友人に教わった伊那市の春日城址公園から南アルプスを眺めた。左手の甲斐駒が小さく見えるほど千丈岳の威容が迫ってくる。
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                            < 中川村の早暁 >    4号
宿は中川村の望岳荘、五時ころから描き始めたがどんどん山の色が変わってくる。翌朝に描き足して仕上げる。帰宅後加島祥三のエッセイを読んでいたら、この風景をいつも見ていたという。彼曰く、夜明けに戸外に出ると、わだかまる白い雲の上にある駒ヶ岳連峰は黄金に輝いている。・・・高い山の美しさは深い谷があるからなんだ。と言って老子の複眼的なものの見方を説いていた。
              < 南駒ヶ岳連峰 >  6号
飯島町からの山並み。左から仙漉艨A駒ヶ岳、空木岳となる。田圃は代掻き前の草地となっていて、のんびり散歩する人がいた。家並の右側に大きな道の駅があり、ここで太いグリーンアスパラを仕入れた人がいた。
鉄板でバター焼きにしたものをご馳走になる。これが世にいうアスパラステーキか。くせになりそうな美味。
                 < 南アルプス >   6号
反対側を振り返ると塩見岳から赤石岳まで南アルプスが連なっている。田圃の道ぞいに咲くピンクの花は今を盛りのミツバツツジ。
               < 梨の木と荒川岳 >    4号
梨の木は殆ど平だな仕立てになっているので自然樹形を探して歩く。受粉用なのか数本見つけたので荒川岳をバックに描いてみる。
< リンゴの古木 >   6号
梨畑の手前に稀に見るリンゴの大木があり花が少し咲いていた。この後、梨畑にいた老婆が近くまで寄ってきてあれこれ話し込む。よそから来た人はみんないい処だというが、住む人にとってはいいことばかりではないと愚痴をこぼしていた。たしかに畑には年寄りしか姿をみない。この景観がいつまで維持できるのか心もとない気がする。
< 伊那谷中川村四月 >   2号
何気なく中川村の八幡宮の裏山に上って見た。菜の花、リンゴ、梨の花の先に南駒連峰がそそり立っていた。
これぞ中川村の四月と感嘆する。
 ★< 駒が池から宝剣岳 >    4号
前に来たときは生憎宝剣岳に雲がかかっていた。今回はすっきり見える上、標高が高いせいか桜も咲き残っていた。手前の桜は八重桜

< 日和田山より巾着田 >    2号
巾着田は彼岸花のころには大賑わいとなるらしい。しかし、桜も大したものである。殆ど散っていたが満開の時の素晴らしさは想像できる。近くの日和田山に登ってみると高麗川が巾着状に湾曲していることがよく分かる。この川沿いに桜が並木をなしている。
< 高麗郡 名主屋敷跡 >    2号
この辺りは古くは高麗郡と言われたが、それは1300年も昔に渡来人である高句麗人を集めて開かれた集落の名前。渡来人は、当時の最先端の技術者集団であり文明人であった。この近くには関連史跡が沢山ある。
建物が歪んでいるのは、目の回復が順調でないせい。ご容赦下さい。
< 慈光寺 霊山院門前 >    2号
帰りに、かねてから訪問したかった都幾川の慈光寺に回ってもらった。この寺も1300年の歴史を持ち、かっては75坊を擁していた大寺。霊山院という関東最古と言われる禅道場までくると花が咲き乱れていた。
 
 < 慈光寺の多羅葉 >    2号
 別名ハガキの木。樹皮の表面をひっかくと文字が書ける。慈覚大師円仁が天長年間に植えたと説明板に書かれていた。とすれば樹齢1100年以上となる。
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< 大楠山 大島桜 >    2号
久しぶりの山歩きを計画したので馴らし運転のため大楠山に行ってみた。前田川の川底を歩く初めてのルート。趣があってなかなかよいルート。標準タイムの1.5倍かかったが無事登頂。めでたし、めでたし。