境川紀行 その2

境川の水源は東京都の草土山365mにありました。やはり行ってみないと分からないことがあちこちにあり、楽しい探索でした。
武蔵の国と相模の国を分ける川ですから両岸になにか違いがあるか探しましたが見当たりませんでした。古くから両岸を支配した領主がいたので当然の話ですが。
                              < 瀬谷海軍道路 >     2号
瀬谷の辺りでは境川の左岸に鎌倉街道が通り、さらに隣に海軍道路が平行して走っている。知ってはいたが花の時期は初めて。かっては花のトンネルが3kmも続いていたとのこと。今は老齢化と病気で半分以上切り倒されている。右手は米軍の好意で開放された花見用の草地。
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                            < 上和田 左馬神社 >    2号
この辺りに左馬、佐婆、鯖とつく神社が多数ある。いずれもサバと呼び左馬頭源義朝をまつる。銀杏が沢山おちていて庭掃除の方がもって帰るようにと勧める。あれ、そういえばあの銀杏は庭に埋めたまま忘れていた。
              < 下和田 左馬神社鐘楼 >  2号
こちらの左馬神社には立派な鐘楼があった。神社の鐘楼とは珍しい。思うに、昔境川から出水があった時に鐘を叩いて住民に知らせたのではないか。神社は川からかなり高い場所に建てられている。上和田の神社も同じような場所にあるから同じく避難場所に使われたのではないか。
                 < 境川 下鶴間 >   2号
初めてせきがある景色に出会った。シラサギなどもいてのんびりした風景であるが、川の両側がサイクリングロードとなっていて結構なスピードで行き交う。おちおちスケッチも出来ない。左手に高い石垣らしいものがあった。後で調べてみたら深見城という戦国時代後期の城跡だった。
               < 境川 相原駅近傍 >    2号
この辺りに来ると川幅も狭くなる。家々の間をくねくねと流れるようになる。しかし、深さは意外に感じるほどの深さがある。さすが国境を流れる川の貫禄である。
< 境川水源地点 >   4号
町田街道の大戸を大戸観音堂方面に曲がり、その先大地沢青少年センターに駐車してしばらく山道を歩くと境川水源地点の標識があった。正面が草土山365mの北面で、この辺り一帯に降った雨や湧水が境川の水源になっているらしい。杉山の手入れや砂防工事によく手が入っている。東京都の予算であるが、こんな山奥にもお金を使っているのを知ると日本の将来に少し安心する。
ここからは番外編
< 大庭城址公園 >   4号
海軍道路の桜が五分咲き程度だったので、隣の流域の引地川沿いにある大庭城址公園に回った。こちらも似たような具合であったが花見客は結構浮かれていた。
 < 小町大路 谷口屋 >    2号
えびすどう橋のたもとの大正3年から続く古いお米屋さん。おにぎりを売っていて美味しかった。今は甘味処・茶房となっている

< 二宮町吾妻山 エノキ >    4号
今年の描き初めは吾妻山で行った。春めいた穏やかな日で小田原沖の海が光って見えた。