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2017年 伊吹山と峠みち 
10月下旬に車で伊吹山に出かけました。その往きかえりに旧東海道の峠をいくつか尋ねて歩いてきました。
ついでに直虎の井伊谷にも立ち寄り、小野但馬守政次の供養塔にも参りました。
行ってみないと分からないことが沢山あり、それが旅の楽しみです。
 
 < 宇津ノ谷峠 >    3号
最初の峠は宇津ノ谷峠です。ここは古代から現代まで数本の峠越えのルートがありますが、どれも通行可能というので、マニアからは聖地扱いです。しかし、私が歩いた江戸期の峠道はかなり荒れていました。
入り口の倒木をどけながら峠を歩くと、折からの雨で水みちとなっていました。この真下に明治のトンネルが穿たれています。見える人家は宇津ノ谷宿です。
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 < 小夜の中山から粟ケ岳 >    3号
西行の歌で知られた中山峠です。この地は昔、佐野(さや)と呼ばれ、そこにある中山を越える峠がいつの間にか小夜の中山と言われるようになった。これは峠にある浮世絵ギャラリーのマスターからの受け売りです。
往時の街道の上に舗装してあるので車で簡単に行けます。広重の絵には急峻な坂が描かれていますが、それは上り部分のことで上はほぼ平坦です。つまり、峠道は台形をしています。

峠は何の風情もないのでギャラリーの好意で雨宿りしながら粟ケ岳を描きました。この場所から広重も描いたそうです。これも受け売りです。
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< 井伊谷 政次供養塔 >    3号
分かりにくいところですが、井伊谷城址の近くにありました。逆臣なので墓はなく、これは供養塔です。両脇の小さい塔は、後から処刑された政次の子息だそうです。
400年たっても花を手向けられ供養されているのは、それなりの事情があったのでしょう。テレビドラマの影響だけではないと思いたい。政次ファンとしては。
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 < 須賀谷から伊吹山の日の出 >    3号
須賀谷温泉は沸かし湯ながら浅井長政やお市の方が湯治にきた湯だそうです。茶々も浸かった湯と思えば有難みが一入です。
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                              < 伊吹山から北アルプス方面 >    4号
今年一番の好天だそうで、山頂からは茫洋たる展望が開けます。白い山塊は左から白山、穂高、乗鞍、御嶽山です。駐車場付近には望遠カメラの放列が夥しい。イヌワシの飛来を待っているとのこと。いつ来るか分からないので弁当持参で頑張っているらしいです。ご苦労さん。
期待した琵琶湖は逆光でよく見えませんでした。
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 < 須賀谷温泉の早朝 >    3号
 須賀谷は小谷城のあった小谷山の東麓です。ここから城跡に上れるか行ってみたら全然だめでした。さすが難攻不落といわれた城だけあります。。
 
 
                            < 木之本宿 >    3号
須賀谷温泉のすぐ近くにある北国街道沿いの宿場町に立ち寄りました。このような老舗が幾つもある街並みが楽しめます。店は七本槍の富田酒造、創業400年だそうです。
帰途、琵琶湖の落日を眺めてから宿に戻りました。
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                            < 鈴鹿峠 鏡岩 >    3号
土山宿から旧道に入り、そのまま走っていたら鈴鹿峠の伊勢、近江国境を示す石碑のところに出ました。近くに車を置き、鏡岩まで歩いてみました。
途中で赤マムシに遭遇するも竹杖で退治して男を上げました。帰宅後、山に詳しい人の話を聞くと7000円で売れるから持って帰ればよかったと言われました。
鏡岩は磨くと光るそうです。下に関宿に向かう国道が見えます。
           < 鈴鹿峠 常夜燈 >    2号
これは高さが5.4mもあります。なぜ峠の夜道を照らすのか疑問に思っていました。往時は夜、峠を通るのは盗賊くらいしかいないからです。ところが信じがたいことに、これは伊勢湾航路の灯台の役目をもっていたと説明板にありました。
ここの広場で、昨夜の宿で拵えたおにぎりと漬物の質素な昼食。すっかり旅人気分です。
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< 関宿 >    2号
鈴鹿峠を下ると関宿です。この宿場町にはびっくりしました。2km近く電柱一本ない町は、よく往時の宿場町の姿を留めています。向うの山は鈴鹿峠方面です。
因みに、名菓関の戸を作るこの店は、江戸時代に宮中から常陸大掾を名乗ることを許された老舗です。

 ・ここからは番外編
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      < 雨の日本大通り >    3号
今年は天候不順もいいところ。鬱陶しい雨が続くなかのスケッチ会です。