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2017年 養老渓谷ほか 
近いわりにあまり行かない房総方面に出かけました。
アクアライン経由で行くと、あっけなく養老渓谷に着きます。
雨の景色を期待したのですが、幸か不幸か空梅雨でした。いろいろな発見やら出会いがありました。
 
 < 粟又の滝 >    4号
養老渓谷を代表する粟又の滝(養老の滝)はご覧の通り。近年の水不足のせいらしいです。仕方なしに滝壺を描く。
本来は川幅一杯に流れ落ちる水量が売りらしいですが、これではそうめん流しの滝と改名した方がよさそう。
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 < 三口橋から大多喜城 >    2号
大多喜城は県立博物館です。ここで、なぜ本多忠勝がここに封ぜられたか学芸員に聞き、謎が氷解しました。当時里見氏に手を焼いていた秀吉が、家康に猛将を配せよと指示したとのこと。忠勝は3年後には桑名に移っています。
手前の電車は、通りかかったいすみ鉄道線の可愛い電車です。
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 < 大多喜町、大屋旅館 >    4号
泊まった宿は、こんなところ。元禄年間から操業している老舗旅館。宿は国指定の史跡になっています。旅館というより旅籠の雰囲気。私の好きな八州廻り、桑山十兵衛も宿泊したに違いないと嬉しくなりました。
同行のKさんは、料理も旨いし、サケもいいとご満悦のていでした。
ただ、あちこちガタがきているのでいつまで開業していられるか、そちらが心配。

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 < いすみ市作田近傍の風景 >    4号
 海岸に出ようといすみ鉄道沿いを走る途中にあった田園風景です。
イセエビ出荷量日本一という大原漁港に出ましたが、つまらないので地図上にある和泉岬に向かう。塀に車を擦りながら狭い道を走り回りましたがどこも行き止まり。断念して漁港に戻り、昼食。
イセエビ(高価)ではなくアブラウオ(安い)の煮つけを食べて漁師の台所という店を出ました。
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                              < 御宿海岸 >    2号
ここに着く前に、ドン・ロドリゴ漂着の場の案内板がありました。沈黙の宣教師ではなくメキシコの総督で、難破した船から373名が漁民によって救出され、大多喜城経由江戸、駿府まで行き、家康の命で新造された船で無事帰国できたとあります。慶長14年(1609)の話です。ドン・ロドリゴ日本見聞録には大多喜城の様子も記されているらしいので読んでみたくなりました。
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                            < 大多喜町、豊乃鶴酒造 >    4号
大多喜に戻り大屋旅館にもう一泊。お土産に豊乃鶴を買う。この酒屋も史跡指定されています。大多喜城という銘柄酒も置いてありますが、宿で出された酒が飲みやすく旨いのでこれにする。宿では二級酒といっていましたが、本当に安いです。
           < 亀山湖 >    2号
R465線で久留里に向かう途中、亀山湖に立ち寄りました。小櫃川を堰き止めたダムですが、どこが川かダムか分からないぐにゃぐにゃした湖です。ブラックバスの釣り場で大勢の釣り人が舟を出していました。
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< 久留里城にて >    4号
古城の風格がある城跡にコンクリート製の城が再現されています。見晴らし台に新井白石の像が立っていて思い出しました。白石の出身藩でした。まさか将軍の師となるとは思ってもいなかったでしょう。
ここから見える前方に突き出たところが大手門のあった場所で、その先には古戦場跡が広がっています。

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      < ヨコハマ 像の鼻にて >    4号
K会のお絵かきです。クイーン塔もランドマークタワーも傾いていますが、現物はしっかりと立っていましたのでご心配無用です。私の眼はかなり心配ですが。
              < 玉ねぎ、じゃが芋 >    2号
畑の仲間から頂いた作物。つまりはあまり畑に勤勉でない証しです。礼状のつもりでしたが、玉ねぎには見えないので名称を入れました。