熊野古道 | |||
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世界遺産に登録される前に訪れたのでのんびりと歩けました。熊野にある三つの大社へは、平安人に倣って、歩いてたどり着くことにしました。といってもそれぞれ半日程度のものですが、それでも当時の様子を偲ぶことができました。 |
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<ゴトビキ岩(神倉神社)> 2号 | |||
最初にゴトビキ岩を祀る神倉神社に向かう。速玉大社の前身は神倉神社という。おそらくこのゴトビキ岩が海からのよい目印なので灯台の役目を果たし、信仰の対象になったと思われる。岩の脇の社はなくでもがなの感がある。ご神体としての威厳は充分ある。 | |||
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<神倉神社への道> 2号 | |||
ゴトビキ岩に至るこの石段は40度近くもある。高所恐怖症の人は上らぬほうがよい。有名な火祭りは、夜に松明をもってこの急坂を駆け下りる行事であり、まことに命がけの行事と言うほかない。ここから速玉大社へは山道を辿っていった。この日の宿は勝浦温泉。忘帰洞の湯が面白い。 | |||
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<大門坂> 2号 | |||
速玉大社から補陀洛山寺に寄って渡海舟を見る。さまざまな悲喜劇を偲ばれて興味深い。市野々あたりに車を置き、歩いて那智に向かう。大辺路から那智大社へは、この大門坂を登ってたどる。両脇の夫婦杉は樹齢八百年という。茶店で平安朝の衛士の衣装を借りて、藤原定家のお供の気分で散策を試みた。なかなかの気分であった。 | |||
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<那智の滝> 2号 | |||
青岸渡寺から滝を眺める。那智大社のご神体も、この滝に違いないと思わせる品格であり、それは私の筆では表現しがたい。青岸渡寺の古格さも好ましい。熊野一帯で随一の建造物ではなかろうか。この日の宿は湯の峰温泉。隣がつぼ湯だったので小栗判官を偲びつつ石の湯船に浸かる。 | |||
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<赤木越え> 2号 | |||
湯の峰温泉の民家の間を通る細い石段を登ると、熊野古道の一つである赤木越えという路になる。中辺路から参詣する場合、直接大社に向かわずにここに降りてきて、湯の峰で身を清めてからお参りするルートに使われたらしい。今は殆ど歩かれない路のようで、それだけに往時の面影が残っている。朝食前に少し歩いてみた。 | |||
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<伏し拝み王子から大斎原方面を望む> | |||
この地に住む知人のご好意で発心門王子まで車で送ってもらい、小雨の中を歩き始める。雨など気にならぬほど気分のよい路で、ほどなく伏し拝み王子につく。いにしえ人はここから大斎原に建つ熊野本宮を遥かに望み感激のあまり伏し拝んだという。京から数十日歩き続け、やっと辿りついた安堵感は察するに余りある。 | |||
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<果無山脈> 2号 | |||
伏し拝み王子から本宮に向かって歩き始めたところ、隣の民家に「山中」の表札が出ている。NHKの朝ドラ「ほんまもん」の舞台となった家で、驚いたことに茶畑の上に山中家の墓まであった。この墓から雨に煙る果無山脈を眺める。果無山脈とは好ましい響きで、よく熊野を言い表している。 | |||
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<大斎原 おおゆのはら> 2号 | |||
熊野大社とは、本来この地に水分神社として鎮まっていたものらしい。明治の大水害で流されてしまい今の場所に移ってしまったが、平安期以来、蟻の熊野詣といわれる程の夥しい人々を引き寄せた霊地はまさにこの場所である。今は、大鳥居のほかは何もない空間が却って想像を掻き立てて去りがたい思いがする。 | |||
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<古座川一枚岩> 2号 | |||
司馬遼太郎さんの街道をゆくに印象深く載っていたので訪ねた。まことに奇観としか云いようがない。とても描ききれないので見上げる同行者を入れて一部分を描いた。 司馬さんはここで舟遊びをしているが、それが一番似合う景色だと思う。この旅の最後は、竜神温泉の上御殿で過ごした。いい宿で、すっかり殿様気分となる。 |
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