日本海から伊那谷へ
梅雨入りまえに日本海の夕日を眺めたいと思い関越道を走る。今回の旅は中越地震のお見舞いの意味も持たせた。途中で天気予報がどんどん変わり、それにつれて行き先も西へ西へと向い、最後は伊那谷まで入り込んだ。宿の予約はしないで出発したが、天気の関係もあり期待?の車中泊は一晩だけだった。
                                             <飯豊山>  2号
関越道は未だあちこち修復中で、その影響か予定したPAに入れずに巻機山と八海山をやり過ごし終点まで来てしまった。前方に飯豊山が見えるので村上市に向かう。観光課に電話してヴューポイントを聞き、三面川の対岸寺尾集落から弁当を食べながらのスケッチとなる。トラックを止めて私の絵を覗き込んでいた村人が、そこより何とか富士と言われている近くの山を描けという。筆がにぶる。
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                                     <村上城址 牛臥山>  2号
三面川を隔てて牛臥山がぼっこりと盛り上がっている。この頂上からは飯豊山は見えず朝日連峰方面が望めるらしい。村上市は、旧家がひな人形を競って飾ることで有名になったが、今の時期町中は人影も少なくひっそりとしている。地酒〆張鶴の蔵元に寄り土産とする。
                       <三面川>  2号
瀬波の海岸に車中泊できるところがあるのを確認してから、三面川に戻りスケッチを始める。夕暮れが迫っているが、明るい川で遠くには朝日連峰らしき山並みも見える。この川は鮭漁で有名であるが、川岸の小船もそれに使うのであろうか。ともかくも護岸工事していない川は眺めていて気分がよくなる。
                        <弥彦山>  2号
瀬波温泉では温泉に外れた。海際の公共施設に入ったが、消毒臭がひどく、浴槽もプールのように広いだけの銭湯風、おまけに雲が垂れ込めていて夕日もダメ。翌朝はやく日本海沿いをひたすら走り弥彦に向かう。水田越しの弥彦山を眺め、この後スカイラインを走るが案内板が不親切で頂上には行けず仕舞い。山頂は、手前のピークの左側らしい。スカイラインからは日本海側の眺望が素晴らしい。
                 <国上山から水分町>  2号
寺泊で昼食のあと、良寛さんの跡を訪ねて回った。国上山(くがみやま)周辺が日頃よく歩いた処らしい。人里離れた庵を想像していたが、弥彦神社などの人の集まるところも意外に近い。山頂で雲行きが怪しくなり薄暗くなってきた。信濃川(分水)と町の中心部が薄もやのなか越後平野に浮かんで見えた。
                     <五合庵>  2号
国上寺の一角に良寛さんが20年過ごした五合庵が復元されている。良寛さんは、年老いてから少し山を下った乙子草庵に移る。ここにも行ってみたが、有名な歌「うずみ火に足をさしのべて臥せれどもこよいの寒さ腹にとおりぬ」は、ここで詠まれたのではと思わせる簡素な造りで、薄暗い室の小さな炉を見ていると涙が出てきそうになる。
                         <高遠から仙丈岳>  2号
雨を避けて伊那に入り、豊丘のいも神父を訪ねたが不在だった。昼神温泉に泊まり、翌日千畳敷に登るつもりであったが、雲がかかっているうえ周りは雪だらけというので高遠に向かう。見晴らしを求めて水路に落輪しそうな道を走ってたどり着いたのが鉾持神社。桜ならぬ緑に溢れる高遠城址越しに仙丈岳がよく見える。
<高遠から木曾駒>  2号
鉾持神社の帰り、振り返ると木曽駒方面の雲がきれて山容が望める。西日で山襞がよく見えないが天竜川を隔てて大きく構えていた。山頂付近は雪だらけということもよく見て取れる。高遠は桜の季節は車も動かないほど混雑するというが、この眺望を楽しむためには冬に来てみたい。
<杖突峠から八ヶ岳>  2号
高遠から杖突峠を越えて茅野に出た。車の道はさほど急坂とは思えないが、昔の峠道は杖突峠と言われるほどだから難所だったに違いない。あえぎあえぎ登って出会うこの風景は、旅人にひと時の慰めを与えたことだろう。主峰赤岳の下に広大な山麓が展開する。