大和路
2004年に東大寺のお水取り見物に出かけました。お水取りは正式には修ニ会と呼ばれ、12月から始まり3月のお水取り行事でクライマックスを迎える長い厳しい修行で、気楽に見物などと云えないことがよく分かりました。よく知られている松明を振る行事も
一週間にわたって行われています。
                                             <雪の長谷寺>  2号
時ならぬ大雪で名阪国道が閉鎖され大回りして奈良に入る。ルート上に室生寺、長谷寺があるので予定変更して訪ねる。長谷寺の登廊はスイスのトゥーンの街を思い出させる。
.・
                                     <長谷寺の舞台>  2号
人影もまばらな本堂の軒下で雪を避けながらスケッチする。長谷寺の門前町は情緒がある。老舗白酒屋で草餅を焼いてもらって味合う。
                        <二月堂への道>  6号
松明を振る「おたいまつ」は、二月堂をめぐる回廊の上で行われる。本来、行のために二月堂に上る僧(錬行衆)を案内する照明として用いた松明が今や主役となっていて、長さ8m重さ80kgにも及ぶ巨大なもの。これが振り回されるときの興奮は、行ってみないと理解できない。この絵は、前年の熊野古道の帰途に立ち寄った時に、土塀の崩れが面白く感じたので描いたもの。
                        <暖をとる錬行衆>  2号
二月堂に参籠する修行僧は錬行衆とよばれ前年の12月に選ばれる。大変な名誉であるらしい。昔は行に入ると世俗から遮断される厳しいものだったらしいが、今は休息時に若い娘が差し入れに訪れる光景も見られる。しかし、暖をとるために焚き火に寄る僧の紙衣の破れが、修行の激しさを思わせる。
<明日香村>  2号
先ずは周囲を見渡そうと甘橿丘に登る。大和三山も見えるが明日香村に惹かれる。うしろの山は吉野方面となる。
                     <石舞台>  2号
こちらから覗くと石舞台が古墳であることがよく分かる。想像以上に大きな玄室で、なぜこの古墳がむき出しになっているのか不思議に思う。どこにも説明が記されていないが、被葬者は強大な権力を有していたが、同時にひどく憎まれていた人物であったのかと思われる。むき出しにするのにも相当な労力がいった筈である。
                         <法隆寺夕景>  2号
高松塚で時間を取りすぎ、斑鳩についたのは3時過ぎになってしまった。法隆寺のスケール感も相当なものである。東大寺といい、ここといい古代人のスケール感はどこからくるのか。当時の経済力と技術力を考える時、半端でない意思と意欲を感じる。